ここじゃないどこかに行って、今の私から抜け出したい『宇宙よりも遠い場所』

タイトル 宇宙よりも遠い場所」(よりもい)
原作 よりもい
監督 いしづかあつこ
アニメーション制作 マッドハウス
キャスト 水瀬いのり花澤香菜井口裕香早見沙織ほか

Wiki

群馬の片田舎の高校に通う、決断力がなくドジな女子高生のキマリ。
南極で命を絶った母の背中を負い、孤独と闘いながら夢のためにひたすら動き続ける報瀬。
高校に行かずコンビニでバイトする日向。
芸能界に身を置き、「本当のともだち」にあこがれる結月。

4人の女子高生が、南極を目指し、自分を変えるために、奮闘する。
女子高生ならではの、おとぼけ感や見栄の張り方、友情などもあり、見ごたえがありながらも和む場面もたくさんあった。

OPのアニメーションがとっても素敵だった。冒頭、だらっとあおむけに寝ているキマリちゃんが腕で思いっきり画面を反転させる。これまでの冴えない日々を送る自分を、自分の力でひっくり返す予感に包まれている。

以下ネタバレ含む。

報瀬の母と報瀬

主人公は、一応キマリちゃんということになっていると思うけど、主軸は報瀬ちゃんだ。キマリちゃんと日向ちゃんを南極に行かせるきっかけを作ったのは報瀬ちゃんなので、彼女がいなければ始まらない。彼女と母親の関係性が物語を動かしている。
報瀬ちゃんが南極に行く理由は、「お母さんが待ってる」。3年前の母の死は、死体もなければ遺品もない。母の死を受け入れられないからこそ、現在形の「まってる」なのだろう。彼女はほぼ毎日母に「Dear お母さん」のメールを送り続けている(12話のメールの件数からおそらくそうだったのかなと思う)。南極に降り立った時に、お母さんのことではなく、これまで自分をバカにしてきた人に対して「ざまあみろ」と叫んだのも、行く前に期待していたよりも南極に心動かされなかったのも、母の死を受け入れられなかったからだろうと思う。
そんな報瀬ちゃんが母の死を受け入れるのは、12話。母が消息不明になった地点を経験し、南極で過ごした母に思いをはせる。母が活動していた基地でキマリちゃんたちが母の遺品を探し、ついにパソコンを見つける。パソコンそのものを手にしても母の死は確定しておらず、メールボックスに3年間の「Dear お母さん」のメールを受信することで、初めて母の死を受け入れる。自分のメールが届いていなかったこと、空白の3年間が母にはなかったことを自覚する。
この、母の死を受け入れるというのが、この物語の軸のひとつだ。最終話、帰りの船の中で4人でオーロラを見ていると、母からオーロラの写真付きで「本物はもっときれいだよ」というメールが届く(送ったのは、帰り際に報瀬ちゃんからパソコンを渡された、母の友人である隊長)。それに対して報瀬ちゃんは「知ってる!」と口にする。これまで何を見ても、母の目(=母の本)を通してしか南極を見れず、本で見たということしか思わなかったが、この時初めて「美しい南極」を自分の目で見ることができた。母の目を通さずに見る南極の景色を報瀬ちゃんが見たことで、完全に母から自立したのだろうと思う。また、この景色は「だれと見るか」ということが大切で、ここまでともに進んできた4人で見るからこその美しさだったのだろう。母以外の人物と頼り頼られる関係を結ぶことも、母からの自立の象徴だと言える。

淀みを壊す

何度か出てくる、砂のダムのなかに水をため、それを壊して淀みを一気に外に流す、というイメージがある。これは明らかに彼女らの生活とそこから抜け出すことを象徴しているけれど、ここからわかるのは、ある意味で「南極に行くこと」がこの物語の目的ではない、ということだ。淀みは「代り映えのない今の生活、好きになれない今の自分」、これを壊すことで一気に流れ出る、違う場所にいくことができる。行けない理由や変われない理由を探して諦めるのではなくて、変わりたいという気持(=淀みの出口)一つで無防備に、無謀に、行動することで淀みは壊せるのだというメッセージだと思う。
確かに、私たちが南極に行くことは難しいかもしれないが、言ってみれば、地球上のたいていの場所は「宇宙よりも遠い場所」なのだ。「今いるこの場所」ではないどこかは、距離的に「宇宙よりも遠い場所」である以上に、気持ちの上で「宇宙よりも遠い場所」なのだ。その一歩を踏み出すことはとても勇気がいることだけど、踏み出すことで新しい景色をみることができる、というメッセージが込められているように感じた。そしてその一歩は、誰かと一緒なら意外と簡単に踏み出せるかもしれない。